2020/06/25 16:16
世界有数の織物産地・尾州
尾州地方は、愛知県の尾張西部地域から岐阜県羽島地域に広がる木曽川沿いを中心とした織物産地。毛織物専門の工場や機屋が数多く集まっている。高品質な生地を生み出す産地として世界有数の技術を誇り、国内はもちろん、欧米のハイブランドなどからもオーダーが入る。
この地域ではかつて、二人に一人が機屋になっていたという。戦後の衣料不足から朝鮮特需までの好景気は「ガチャマン景気」と呼ばれ、その後に続くバブル経済でピークを迎えた。
しかし近年は、海外産織物の輸入増や合成繊維の普及などの影響で、製造品出荷額はピーク時の約四分の一にまで落ち込んでいるという。
そんな織物の産地・尾州に、新たな風を吹き込んでいる若い織り手がいる。
テキスタイルブランド「terihaeru」の代表をつとめる小島日和(こじま・ひより)さんだ。
小島さんがテキスタイルに出会ったのは、名古屋芸術大学に在籍していた頃。
もともとはプリントやグラフィックを専攻するつもりだったが、希望するコースは倍率が高く、望みは叶わなかった。
「どうしようか悩んでいた時、先生がテキスタイルを勧めてくれたんです。わたしの手にはテキスタイルが合っていると」
学び始めた当初は、テキスタイルが自分の感覚に馴染まなかったという。
「糸を仕入れる時に、縦横の長さや面積など、布にするための方程式を正確に把握しなければいけない。算数的なものから逃れて芸大に入ったのに、結局算数が必要になってしまう…」
慣れるまでは少しだけ時間がかかった。しかし、気持ちは確実にテキスタイルに向かっていった。
「最初は脳が追いついていなかったんですね。でも少しずつ自分のできることに感覚が寄っていき、気付いた時には好きになっていました」
大学三年になった頃。小島さんに転機が訪れた。課外授業の一環として一宮地場産業ファッションデザインセンターの人材育成事業に参加し、のちに師匠となる足立聖氏と出会ったのだ。
「足立がつくる布を見て、今まで感じたことのない興奮を覚えたんです。あまりにもかわいらしくて」
そのかわいらしい布をつくっていたのが、小島さんの運命を変えたションヘル織機だった。
ションヘル織機と「terihaeru」
ションヘル織機とは、明治大正から昭和初期頃までに主流として使われていたシャトル式織機のこと。
ドイツの産業機器メーカー「Schönherr(ションヘル)」の織機をもとに製造されたもので、低速回転でゆっくりと織り上げるため、手織りに近い柔らかな風合いが表現できる。また、最新の織機では使用できないさまざまな糸を使うことができるので、デザインの自由度が大きい。クラフト性の高い生地づくりには向いている。
このヴィンテージ織機に惚れ込んだ小島さんは、大学卒業後、足立さんのもとに弟子入り。師匠のサポートを受けながら、自身のブランド「terihaeru」を本格的にスタートさせた。
ブランド名になった「照り映える」とは、光を受けて美しく輝くこと。
「外国語っぽく聞こえて、かつ普段あまり使わない日本語にしたかったんです。自分の名前が日和(ひより)なので、『太陽が照らす』というハッピーなニュアンスも入れたかった。国語辞典の『て』の欄を見ていた時に『照り映える』という言葉を見つけて、これはぴったりだなと」
terihaeruの魅力はなんといっても、華やかでキャッチーな、直感的に「かわいい」と思えるデザイン。着る人や使う人の年齢や性別を選ばないので、贈り物にも向いているだろう。異素材を組み合わせた特殊な生地や、複雑でアヴァンギャルドなデザインもある。
ションヘル織機だからこそつくることのできるterihaeruの商品は高い評価を受け、東京・新宿ルミネの「rooms SHOP」なども入荷。さまざまなブランドとのコラボ商品も発表するようになった。
昔ながらのヴィンテージ織機と確かな技術、それに斬新なデザイン。terihaeruは、歴史あるものと新しいものが掛け合わさって生まれた新たな価値と言えそうだ。
下請け体質を変える
しかし、ションヘル織機は絶滅の危機にあるという。高速で効率的な革新織機の登場により、現在は生産中止。稼働台数もわずかで部品の配給すらなく、メンテナンスは職人たちが自ら行っている。さらには、扱える職人たちの高齢化と継ぎ手不足が深刻化。すでにヨーロッパでは博物館に飾られるほど希少なものになっているという。
「こんなに素晴らしいものをつくっていて需要もあるのに、このままだとなくなってしまう。腹が立つとか悲しいとか感じる以前に、意味がわからないと思いました」
なぜションヘル織機が消えてしまうのか。背景を探っていくと、お金の問題に突き当たった。つまり、職人が儲からない。だから継ぎ手もいない。
「儲からない原因のひとつは、職人の下請け体質にあります」
ガチャンと織れば一万円の時代は、企画やデザイン、営業をしなくても儲かった。しかしかつての好景気も今や昔。仕事は減り、それなのに工賃は昔のまま。
「下請けになるのではなく、自ら企画して売る。職人が自分たちで値段をコントロールできた方が、ものづくりの流れとして正しいんじゃないか。これだけの技術力に、デザインやブランディング、マーケティングなどが加われば……」
産地全体で生き残るために
そうした課題を解決するため、小島さんは自身のブランドを運営する以外にもさまざまな活動を行う。
「ものづくりの世界は今、変革の時期。人件費が高い先進国でいかに生産できるかというフェーズに入りつつあります。さらに、現在の繊維産業は、就職氷河期のせいで三十代と四十代がほとんどいません。いちばん近い上司が五十代後半や六十代ということもザラ。いまだに昭和を引きずっている世界で働くのは、なかなか大変なものですよね。せっかく入った念願の会社を志半ばでやめていってしまう人も少なくないです」
もちろんベテランの職人たちも、若い人がやめてしまうことに危機感を抱いている。ただ、なぜやめてしまうかが理解できない。確かに、四十歳ほども年齢が離れていれば共通の言語も少ないだろうし、会話の前提条件も異なるだろう。
「でも、やめる方からすれば明確な理由があるわけです。わたしが知っている例で言えば、就職して数年間、機械の掃除や検反(生地の仕上がりや製品としての欠陥の有無を検査すること)ばかりやらされていた人がいました。夢と希望を抱いてこの業界に入ったのに、そんなことが毎日数年間も続くって、結構しんどいことだと思うんです。若い人が持っている情熱やアイデアこそ必要とされているのに、それがベテランの方々に届いていない。根本的なコミュニケーションの問題があるんです。そこを改善させたい」
2017年に小島さんが主催となってスタートさせた若手テキスタイルデザイナーによる合同展示会「NINOW」(ニナウ)は、こうしたコミュニケーション不全に対応し、若手とベテランの橋渡しをする。NINOWの活動は業界内外で高い評価を受け、各種メディアも取り上げるなど、その認知は拡大しつつある。この十月には、東京・代官山での展示会も開催。産地に若手がこれだけいるということや、女性のつくり手が多いということが業界ではインパクトになっているようだ。
しかし、若い世代のつくり手のほとんどが女性であることは、繊維業界の問題のひとつであるかもしれない。女性が多い理由は、女性が働きやすいからではなく、単に男性社員がすぐ営業に回されてしまうからなのだ。体力が必要な営業は男がやるもの。こうした昭和的な考え方が積み重なり、その結果として現在の継ぎ手不足の繊維業界がある。確かに変革の時期に差し掛かっているのだろう。
小島さんとNINOWの活動に対しては、海外進出を期待する声もある。しかし現時点では、そういった方向での拡大路線はあまり具体的にイメージできないという。むしろこれから先、五年十年と、細々とでも続けていくことのできる環境を整えることが重要だという。NINOWのウェブサイトにも「現在の若手が60代になっても産地で働いていける未来を作ります」と書かれている。
「自分の生地をつくるために頑張るのもいいけど、わたしだからこそできることがたくさんあると思うんです。産地全体、日本の繊維産業全体で盛り上げていきたい」
自分だけが生き残るのではない。ただ作品を通して表現するだけでもない。
伝統技術を引き継ぎ、アイデアとデザインを付与することで新たな価値を引き出し、地元の職人や同世代のデザイナーたちと協力して業界の構造を変えようとする。
こうした若手がいる限り、尾州織物は光を受けて美しく輝く=照り映えるだろう。
(文:山田 宗太朗、写真:福村 暁/TURNS vol.38より)
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