読みもの

2020/07/20 11:19



「TURNS商店」では、地域と作り手のストーリーがギュッと詰まった逸品を全国各地から集めてラインナップしています。

連載企画「作り手と出会う vol.3」では、その中から、滋賀県長浜市の「仕立屋と職人」さんをご紹介します!


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職人の近くにいたくて、東京を離れた


歴史ある宿場町の面影が残る小さな町に引っ越してきたのは、東京からそのまま切り取って貼ったような出で立ちの2人。引っ越して2年半が経とうとしている今でも、彼らは彼らのままでこの町での暮らしを楽しんでいる。当初は異世界の住人のように拒絶反応を示されるときもあった彼らは、今では近所の人と酒を酌み交わし、野菜や果物をおすそわけされ、祭りで一緒に神輿をかつぐ町の人気者だ。彼らがまとう空気は、この町にかろやかで新鮮な風を運んでいる。


滋賀県の北東部に位置する長浜市木之本町で、地域おこし協力隊として活動する石井挙之(いしい・たかゆきさんとワタナベユカリさん。10代から東京で多くの時間を過ごしてきた彼らは、夜の東京が好きだった。「踊って飲み歩くのも、ネオンも大好き。居酒屋もクラブもない場所に住むなんて想像できなかった」。


彼らが住んでいる木之本町には居酒屋もクラブもないし、21時には人が出歩かない。東京を離れて地域に引っ越す選択を考えたことがなかった彼らが、「どうしても合わなければ、東京に戻ればいい」と自らの意志で地域に飛び込んだ。自分の情熱を注ぎたい表現と出会ったからだ。


自分が仕事をする意味とは何なのか。20代の最後に彼らが見つけた、自分たちの表現したいもの。それが、ものづくりをする職人と一緒に描く百年先の未来だ。彼らは「職人の生き様、仕立てます!」を掲げ、職人自身をプロデュースするチーム「仕立屋と職人」(以下、仕立屋)を結成した。メンバーは、職人に弟子入りして作業着やプロダクトに落とし込むユカリさん、グラフィックデザインとストーリーテリングで表現する石井さんと、現場にいる2人のアイデアから東京で事業を組み立ててビジネスにする古澤恵太さん・堀出大介さんの4人。得意分野の異なる4人が、職人のものづくりにかける思いや生き方を伝えようと2017年に結成した。


仕立屋を立ち上げるまで、職人といえば別世界の存在で、伝統工芸に全く関わりのなかった2人。立ち上げたきっかけは、偶然の出会いだった。




石井さんとユカリさんは、福島県郡山市で300年以上ダルマをつくる「張り子」の技術を受け継いできた職人と出会う。ものづくりへの姿勢や受け継がれてきた歴史、何よりも100年先の未来に願いを託す生き方に惹かれ、2人は「このかっこよさを伝えたい!」と職人の人生に関わることを決めた。自分たちのような職人に縁のない若者に、職人自身の魅力を届けるにはどうすればいいのか。


職人の作業着を制作したり新商品開発に挑んだりと、自分たちが職人と関わるからこそ実現できる活動を模索してきた。この活動を、全国各地の職人と一緒に挑戦したい。そう思った彼らが選んだ2つ目の拠点が、滋賀県長浜市だ。


仕立屋の特徴の一つは、タッグを組むと決めた職人に弟子入りする点であろう。職人とともに1日を過ごし、技を学び、言葉にならない思いを受け取る。彼らが職人になって家を継ぐわけではない。でも、職人を知らずして職人を表現するのは不可能だと感じ、職人の一番近くにいたいと語る。伝統を守ってきた職人と別世界で生きてきた彼らが、どうして住む場所を変えて数ヶ月間弟子入りするほど、職人の生き方に惹かれるのか──職人と出会った彼らが最も大きく影響を受けたのは、ものづくりに託す未来だ。


自分の「こうありたい」を抱えながら


二人がまもなく30歳になろうとしていた数年前。3年間のイギリス留学を経て、平日の朝に羽田空港に降り立った石井さん。久しぶりに日本に帰ってきた。思いきってイギリスに行ってみたからこそ、今は日本でやりたいことがあると考えての帰国だ。まずは実家に向かうつもりでいた石井さんをゲートで迎えたのは、虎柄のシャツを着て「石井挙之さま」と書いたプレートを持つユカリさんだった。そのまま空港の屋上に上がり、ビールを片手に語らったのは「人生の意味」について──。


30代になった2人は、そんな当時の自分たちを「青臭い話をできる唯一の相手だった」とふりかえる。同世代は会社の中堅どころに落ち着き、次は結婚なのかそのまま出世するのか、着実に現実を生きていた。一方、留学から戻ったばかりの石井さんと専門学校に通っていたユカリさんがいつも話していたのは、決まったルールへの反発、表現する意味、物事の考え方。表現者でありたい、けれど誰のために、何のための表現をするのか。空港で語らった翌年に二人が他のメンバーと一緒に「仕立屋と職人」(以下、仕立屋)を結成するまでの道のりは、彼らの表現を模索した日々だと言えるだろう。


2人の出会いは、大学時代にさかのぼる。石井さんはデザイナーを目指し、ユカリさんは美術史の勉強をしたくて、二人は美術大学に入った。同じサークルで毎日のように一緒にいた二人は、将来の見出し方が真逆だった。「美大=グラフィックデザイナー」の図式を描いていた石井さんは、一直線にデザイナーを目指した。一方、卒業後にやりたいことがなかったユカリさんは、友人に頼まれて手伝った犬の洋服づくりに「やりたいことが初めて見つかったかもしれない」と感じた。大学生活を経て、石井さんは晴れてデザイン事務所に入り、ユカリさんは犬の洋服づくりを仕事に選んだ。


がむしゃらに仕事に打ち込んでいた石井さんは、たまたま100人の住む漁村で先輩のまちおこしを手伝い始める。数千万円の予算で「何かつくって」と依頼される東京での平日と、魚屋のおじちゃんに「起死回生の一発を頼む」と十万円を託される漁村での週末。東京で制作した大型広告は入れ替わっては忘れられ、地域では自分のデザインが目の前の人を動かした。そのとき石井さんが思い出したのは、大学の恩師に言われた「誰かの人生を変えるデザインをしなさい」の言葉。時に相手の人生に踏み込みながら、誰かの人生を変えられるデザインをしよう。石井さんはもっとデザインを学ぶべく、留学を決断した。


一方のユカリさんは、一点ものの洋服づくりを続ける過程で、自分がものづくりを通じて生み出す価値に疑問と不安を感じ始める。時はファストファッション全盛期、自分でつくって自分で洋服を売っていたユカリさんには、世の中で当たり前とされている値段が疑問だった。洋服に一点ずつ自分の表現を込めているのに、量産されては捨てられる使われ方になってほしくない。でもそもそも自分は、ものにどんな価値を乗せられているのだろうか。ものづくりに価値を乗せられる職人になりたいと思い、技術を磨き直すべく専門学校に入った。

 

惚れたのは、職人の生き方

 


自分の表現方法も、表現する上での信念もある。心からこれを表現したいんだと信じられる何かが足りなくて、時に不安にさいなまれながら、それでも自分がどうありたいかをごまかさなかった2人。そんな2人の心を震わせたのは、100年先の未来を見据えてものづくりをする「職人」だった。福島県郡山市で出会ったのは、300年以上ものづくりを続けてきた家の張子職人。その生き方に、今までの自分たちにはなかった表現のあり方を見出した。


ユカリ「出会うはずもなかった職人の話を聞いてみたら、すっごくかっこよかった。だって、一つの技に人生をかけているんだもん」。

石井「職人は、ものづくりを通じて文化を築いているんだと初めて理解した。300年の伝統を引き受けて、自分の表現に未来を託す。だからこそ、どんなものづくりをするかを常に本気で考えていた」。


何百年も脈々と自分の家に流れてきた、ものづくりへの思いを受け取り、次の世代へとつなぐために表現する。それは、自分が「こうありたい」、そしてその先も続いていく未来が「こうありますように」と二つの願いを重ねる生き方なのではないか。2人は職人と出会って初めて、未来につなぐものづくりについて考えた。自分たちになかった表現のあり方を職人に見出した2人は、ようやく「心から表現したい何か」を見つけた。自分が職人になって伝統工芸品を発信するのではなく、職人自身の生き方を表現しようと決めた。「こんなにかっこいい生き方があるんだよ」と伝えるために。


ずっと探していた、ものづくりをする理由。2人の表現は、職人との出会いによって定まった。職人と出会ったことがない人たちに、職人の生き方を伝えたい。そのために、自分たちができるものづくりとは何なのか。最初に手がけたのは、作業着の製作だ。「お客さんから見たときにかっこよくて、自分が張子職人だと自覚できる作業着がほしい」。そんなリクエストに対して2人は「つくりたい」と即答し、弟子入りを申し込んだ。張子の作業中に作業着のどこが汚れやすく、何が求められるのかを自分たちの感覚で理解した。そこにもう一つ、「作業着に『これ、張子なんですよ』と言える仕掛けをつくりたい」とリクエストが加わり、張子のボタンを取り付けた作業着が完成した。




自分が職人になるなら、福島で弟子入りを続ける道を選ぶだろう。器用な2人は、実際に「そのまま就職しちゃいなよ」と言われてきた。確かに全国各地の職人が後継者不足に悩まされている今、自分が職人になれば、職人の技術が未来につながる可能性は高まるのかもしれない。しかし2人が表現したいのは、100年先の未来を見据えたものづくりをする職人の生き方だ。


空港の屋上で人生の意味を求めていた自分たちは青臭かったかもしれないけれど、言っていることはずっと同じだった。誰のために、何のための表現をするのか──自分が職人になったら、一番やりたい表現をできなくなる。作業着が完成した夜、そっと外に出た2人は大黒屋の駐車場で夜空を見上げていた。


「大黒屋だけにするのか、他の職人とも一緒にやってみるのか、ユカリはどうする?」、そう問いかけた石井さんに対し、ユカリさんは「他のところもやる!」と即答した。空港の屋上以来ずっと、2人の心にはすでに同じ答えがあったのだろう。全国の職人たちの考えを広める「職人の職人」になりたい。続けるためには、ボランティアではなくビジネスにしよう。


職人の一番近くにいたい石井さんとユカリさんは、客観的な視点で事業展開を考えるために、東京にいる古澤さんと堀出さんと一緒にチームを組んだ。2017年、「職人の生き様仕立てます」を合言葉に「仕立屋と職人」(以下、仕立屋)が誕生した。


自分たちの表現で職人を世界に伝えたい



仕立屋が目指すものづくりは、「職人のために」ではなく「職人とともに」。


福島県の次に石井さんとユカリさんが拠点としたのは、滋賀県長浜市だ。長浜では二百五十年以上にわたって絹織物の産業が育まれてきたものの、着実に生産量を減らし、存続の岐路に立たされていた。たくさんの職人に話を聞き、そもそも絹とは何かを学ぶために養蚕農家の元に通い詰め、蚕から生糸になるまでを追った


長浜での活動方針を固めるまでに一年半を費やした仕立屋がタッグを組むと決めたのは、100年以上「輪奈ビロード」を織る株式会社タケツネだ。同業者が減り続け、シルク100%で輪奈ビロードを織る機屋としては、すでに国内で唯一の存在だった。「今までたくさん挑戦してきたけれど、自分の範疇では限界がある」と悩む先代の社長に、2人はプロモーションビデオの撮影を提案した。「自分ではできなかったことを、あなたたちに託したい」。職人の生き様と、仕立屋の覚悟が重なった。


仕立屋とタケツネによる打ち合わせの初日、ベテランの職人たちを前に2人が問いかけたのは、「タケツネは、100年後にどうなっていたいですか?」の質問だった。仕立屋のものづくりにおけるスタート地点は、未来に込める願いだからだ。2人は職人たちと何日も膝を突き合わせ、付箋と模造紙に自分たちの思いを書き出し、最後の最後に出てきた願いは「100年先も機屋でいたい」。仕立屋とタケツネがものづくりに込める願いが、一つに定まった瞬間だった。タケツネにはユカリさんが弟子入りをし、まずはプロモーションビデオを撮影した。ユカリさんが輪奈ビロードで衣装を制作し、高校生から続けてきたダンスで一枚のビロードを織りなす職人たちのリレーを表現した。現在は、輪奈ビロードの肌触りや品質の高さを活かし、職人たちと一緒に新商品の製作に励んでいる。


何100年も受け継がれてきた伝統を大切にする職人と、自分たちがすべき表現を見定めた仕立屋。ともに思い入れが強いからこそ、意見がまとまらないときも多々あり、2歩下がりながら泥臭く3歩進もうとする毎日の繰り返しだ。現実は、メンバーが十分に食べていけるビジネスにもなっていない。それでも2人は、自分たちが職人の生き方を表現する希望を見出している。




石井「ロンドンには日本の伝統工芸品を好きな人がたくさんいたけれど、自分も含めて職人に会ったことがなかった。職人の生き方を世界に届けられたら、興味の対象がものから人に変わるから、日本にもっと興味を持たれるかもしれない。こんなにやりがいのある挑戦が目の前にあるんだから、人生を賭けてやってみたいよね」。


ユカリ「だって、私一人で300年も生きられないけれど、300年も技を継いできた職人だから見える世界があるじゃない?職人を表現したら、300年分と、その先に継いでいく未来を見せてもらえる。それが何より楽しい」。


未来に思いをつなごうとしている職人と出会い、「こうありますように」と未来への願いを託すものづくりの哲学を知った二人。誰かに思いをつなぐ職人の生き方を自分たちのものづくりの軸にした仕立屋は、自分たちにしか描けない未来を表現していく。



(文…菊池百合子 編集…佐藤芽生 写真…山崎純敬(SHIGAgrapher)/TURNS vol.40掲載)



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